映画「風の谷のナウシカ」がテレビ放送される度に思い起こされる場所があります。
それは中東パキスタン北部のフンザという山岳地域です。
名峰が連なるパキスタン北部に位置するフンザは、「中東」や「イスラム教」といった言葉の持つ砂漠イメージとは違い、水と緑の豊かな土地でした。
元はシルクロードの中継地。古くから商人が往来してきた土地柄であるためか、村人は道ゆく旅人にやさしく、何ともまったりとした居心地の良い空間だったのです。
いま「中東」と聞いて何を思い浮かべるでしょう?
サッカー中継のスタンドで見かける白い民族衣装の髭おじさんたちの姿?
それともこんなご時世ですからネガティブな出来事を思い浮かべるでしょうか?
残念ながら現在は情勢悪化の影響でパキスタンなど中東地域を旅する人が少なくなり、現地の情報を伺う機会も少なくなってしまいました。しかし10年前に私が旅した中東は、それはそれは素敵なところだったのです。
こんな時代ですので、たまには良い情報でもお届けできればと思います。
私がフンザを旅したのはずいぶん前の話ですが、その当時の素敵な情景を思い起こしてみます。
今回はフンザまでの道のり。インド国境からパキスタンの首都イスラマバードまでです。
まずは、「イスラム」ってどんなイメージです?
イスラム圏とは主にインドの左隣パキスタンから西、アフリカ大陸北部まで、中央アジアを含むユーラシア大陸南部の乾燥地帯を中心に広がる地域です。
現在は「イスラム」と聞いてネガティブなイメージを持つ人は多いのではないでしょうか。
外務省からも中東の広範囲に対し「渡航注意」などの勧告が出されているため、私がバックパッカーをしていた10年前と比べると、イスラム圏への旅行者もだいぶ減ってしまったように感じます。何かあってからでは大変ですから、こればかりは仕方がありません。
ただ、現地を訪れる人が減ったということは、良くも悪くも生の情報が減ってしまっているということ。時折テレビやネットで流れるニュースはいつもテロや過激派などといったネガティブなニュースばかり。残念なことに、そんなニュースに覆いかぶされてしまうと、良いイメージを見つけるのも難しくなってしまいますよね…。
パキスタンってどんな国?
正式名称は「パキスタン・イスラム共和国」。
長い名前だったんですね。
インド、中国、アフガニスタン、イランと国境を接するイスラム教の国です。
元はインドの一部でしたが、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒との対立から分離独立した国です。同じく独立したのが東側のバングラディッシュですね。インド北西部のスリナガルや東部のコルカタに比較的イスラム教徒が多いのはその名残のようです。そのような歴史から、両国ともインドとは仲が宜しくないようで、怒ったインド人が「チャロ パキスタン!(Go to Pakistan!)」と言っているのを聞いたことがあります。「おまえなんかパキスタンに行っちまいな!」的な言葉らしいです。
一方、北に接する中国とは仲良くやっているようです。
中国からは、ヒンドゥーシュク山脈を越え続く幹線道路「カラコルムハイウェイ」で結ばれており、10年ほど前にはすでに道路の整備や、物資の流入などが中国の援助で盛んに行われていました。その結果、中国に友好的なイメージを持つ人が多くなったのでしょう。
国内の商店では中国製のものが非常に多く見られますし、子供のオモチャなどはだいたい中国語で喋ります。
中国としてはアラビア海に面するパキスタン南部の都市カラチやイラン方面に続く陸路を整備し、中国からの物流の起点を作ろうという利点もあるのでしょうか。
アフリカ方面にはグッと近くなりますしね。
インド国境を越え、パキスタン入国
インド側の街アムリトサル
上記の通りパキスタンは意外と多くの国と接しています。
我々日本人が入国できる国境は限られていますが、いくつかの入国ルートがあります。
空路で入国する以外に陸路ではインド、中国、イランからのルートが一般的になります。
ただしその時の情勢によって入国状況は変わるのでご注意を。
10年前、私が通ったのはインドのアムリトサルからの陸路入国でした。
インド西部の街アムリトサルはシク教徒の多く集まる街です。
インドはヒンドゥー教の国と思われていますが、イスラム教やキリスト教、仏教やジャイナ教など多宗教が混在している国です。シク教徒の国内比率はヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教に次ぎ4番目で2%ほど。ちなみにシク教徒は頭にターバンを巻いている人が多いので外見で見分けることができます。「インド人」として描かれるターバンのおじさんをイメージするとわかりやすいですね。
近頃の若者はターバーンを巻くことが少なくなっているようですが、厳格な家庭では毎朝ネクタイを締めるように頭にターバンを巻いてでかけます。
ヒンドゥー教徒が大半を締めるインドで何故か「インド人=ターバン」となっているのは、他の宗教に比べシク教徒は富裕層が多く、渡航先や外交の場で見受けられる機会が多いからなのでないでしょうか。
そんなシク教徒の街アムリトサルで有名なのが、シク教の総本山ともいうべき寺院「ゴールデンテンプル」です。
さすがに大きな寺院ということだけあり、毎日全土から多くの参拝の人が訪れます。遠路から訪れる参拝客も多いので宿泊や食堂が併設されていています。ちゃっかり異教徒の私も気持ち程度のドネーションを納めて宿泊させてもらいました。
そして参拝を済ませ翌日、国境に向かうのでした。
いざパキスタンへ!入国→ラホール
アムリトサルのゴールデンテンプル前のバス乗り場から国境の町アタリへ向かいます。
インドを出国しパキスタンのイミグレでパスポートとパキスタンビザを見せてすんなり入国します。
パキスタン側はワガという町。
国境付近というのは味気のない荒野であったり、国境の設置に伴ってできた新しい町であることが多く、ここパキスタンの国境も同様に荒野に茶屋がポツンといった感じ。
ただ一つ違うのが毎日行われているフラッグセレモニーと言う閉門の式でした。
ラホール行きのバスはセレモニーの後に出発するということ。
島国育ちの私にとってはなかな経験できることではないので、パキスタン側からフラッグセレモニーを見学しに行ってみることにしました。
簡単に言うと、お互いの軍人さんが派手に国境の門を閉めるパフォーマンスなのですが、それを見るだけのために両国から多くの観客が訪れており、これが意外と盛り上がったりもしているのです。不思議なものです。
見学後はバスで一路ラホールへ向かいます。
バスは前後のドアが開いているのですが、一様に男性は後ろから、女性は前から乗り込んで行きます。
車内に入るとその理由がわかりました。バスの中央には仕切が設けられていて、男女のスペースが区切られているのです。そう、ここはイスラムの国なのです。
前方の女性車両は割とスカスカなのですが、私の乗る後方車両には先ほどまで応援にきていたパキスタンの応援団の人たちがワサワサ。間違えて体育会系の男子校バスに乗り込んでしまったような気分です。ラホールまでの1時間弱彼らと一緒にバスに揺られます。
男子校バスにむさ苦しさを感じひっそりと車窓を眺めていたはずの私でしたが、気がつくといつの間にやら団員の和の中にいました。団員がなぜか私に好意的なのです。先ほどまでの応援で興奮冷めやらぬせいか、『インドから、こちら側にきた観光客』と言うことで妙に私に共感を抱いてくれているのです。「セレモニー見たか?パキスタンの応援は良かっただろ?」「ラホールまでは30分だ」「これ食べるか?うまいぞー!」とアレヤコレヤ親切にしてくれます。
大概空港や国境付近には入国間も無く貨幣価値や土地勘が効かない旅行者を狙った悪徳業者が溜まっていたりするものなのですが、パキスタンの国境で待っていたのは子供が店番をするチャイ屋とそこでバスの出発を待ちマッタリとくつろぐおじさん。バスに乗り込んでも歓迎ムードでウエルカムな車内。そんなこともあり、初めてのイスラム圏の旅の入り口はなかなか好印象なもとなったのです。
イスラマバード(ラワルピンディ)
ラホールに到着した翌日、バスターミナルからイスラマバードへ向かいました。
正確にいうと、イスラマバードではなく15kmほど離れた隣のラワルピンディという街。
イスラマバードは大使館や病院・高級住宅などがきれいに並ぶ都市計画された新しい街なのにに対し、ラワルピンディは古くから交易で栄えてきた交通の要所のような街。
街並みは古く建物もボロボロゴチャゴチャとしているのですが、活気があり宿泊料も安いのです。私が滞在した宿も街並みを覗こうとバルコニーの柵にもたれようものならば、そのままボロッと落ちてしまいそうな年季の入ったお宿。
その代わり、旅人が多く滞在するため各地への情報が入りやすく、バスターミナルへのアクセスも容易と、旅人には都合の良い立地。イランに向かうのならば人数を集めて国境越えの車を手配する方が安上がりで安全だと聞いていたので、人集めにも都合の良い宿、のはずでしたが…。
当時電力供給の不安定だった旧市街ラワルピンディ。
夜は頻繁に停電が起こっていました。
停電といっても30分くらいするとすぐに復旧します。
停電の間は部屋に備え付けられたファンも止まるため自然の風を求めてバルコニーへ避難します。その後すぐに電気は復旧しましたが、さきほどまでの暑さから喉の渇きを感じた私は冷たい飲み物を求めて夜の街へ。
たどり着いたのはフレッシュな搾りたてジュースやアイスを提供するお店。
冷たいアイスを店内でいただきます。
やはりスイーツを取り扱う店であっても、お客さんは「髭おじさん」ばかり。
通りすがりの結婚式に飛び入り参加!
翌朝、当初の予定通りイランビザ申請のために向かったのはイスラマバードの大使館地区。
ラワルピンディからはリキシャ(オート三輪)に乗って30分くらい。イスラマバードはリキシャの乗り入れが規制されていたので、そこからはタクシーを利用。
現在はメトロが通っているらしくアクセスがかなり良くなったみたいですね。
さて、イラン大使館近くにたどり着き、大使館はどこかな〜と探していると、どこからか騒がしい音楽が。
音につられ近づいてみると、髭おじさん達がワイワイと楽しそうに踊っていました。
どうやら結婚式のようです。
遠巻きに楽しい様子を眺めていたところ、私に気がついた髭おじさんの一人が「Come Come」と手招いてくれました。
「へ〜、結婚式って飛び入りできるのか」と不思議に思いながらも急遽式に参加してみることになりました。
楽団の音楽に乗りひとしきり外で踊った後は、室内に入り食事をいただくみたいです。
カレーやスイーツ、ドリンクなどの立食パーティー形式。
祝いの席と言えど、イスラム圏なのでもちろんアルコールはNG。ドリンクは7UP(スプライト)です。
室内に入っても辺りは髭おじさんばかり。正確にいうとおじさんぽく見える髭面の若者が大半。めでたい式くらい女性も一緒では?と思ったのですが、やはりそこは厳格なイスラム教徒の国パキスタン、女性は別室で盛り上がっているみたいです。
2〜3時間ほど滞在させてもらったのですが、挙式の様なセレモニーはなかなか始まらず、結局女性の姿を見ることもなく式場を後にしたのでした。
当初向かう予定だったイラン大使館はまた明日出直しということで宿へ戻ります。
パキスタンの後にもいくつかのイスラム圏の国を旅したのですが、どの国でも大抵外に出ているのは男性ばかり。子供と旅行者以外女性の姿を見るのは稀なことでした。そのかわり、出会った髭おじさんたちは人懐こくフレンドリーな人ばかり。髭面で彫りの深い険しい見た目からは想像できないほど親切な人ばかりなのです。
フンザへ向けて北上
さて、肝心のイランビザ取得はというと。
結局イスラマバードでの取得は諦めたのでした。
同じ宿に滞在していた旅行者の情報によると、当時の情勢ではイスラマバードのイラン大使館ではビザの取得が難しいらしく、できたとしても数週間待ちといった状況とのこと。ペシャワールにあるイラン大使館ならば簡単に取得ができるという話を聞いた私は、イスラマバードに止まる理由もなくなり、この地を後にしたのでした。
どうせならば少しパキスタンを旅してから向かおう。
そう思った私は、当時旅人の間で桃源郷と称されていたパキスタン北部の地「フンザ」へ向かうことにしたのでした。
※2008年の情報です